« 2012年4月 | トップページ | 2012年6月 »

2012年5月

2012年5月31日 (木)

’92 都電の車庫跡(三田車庫)

再建計画による第一次撤去により廃止されたのが三田車庫です。

跡地は港区勤労福祉会館と都営住宅になりました。背後の高層ビルはNEC本社です。

Fh040002_3

近くにある慶応大学の三田門です。

Fh050001

やはり近隣にあるレトロな建物です。三丁目の夕日に似たような建物が登場したような。

Fh050003

2012年5月30日 (水)

’01 都電の廃線跡(九段下 その2)

千鳥ヶ淵を市電が迂回していたのは、急勾配の九段坂を市電が登れないため、迂回路を設けていたことに他なりません。いまでは面影は全くありませんが、濠の様子を観察してみました。

Img04322

Img04402

Img04452

Img04462

都電とは関係ないと思いますが、歩道に石畳がありました。

Img04482

歩道橋から坂の下を見たところです。

Img04492

Img04392

九段下から専修大方向に少し行ったところにあったレトロな感じの建物です。

Img04522

明日からは都電の車庫跡を見ていきます。

2012年5月29日 (火)

’01 都電の廃線跡(九段下)

千鳥ヶ淵が東京市電の廃線跡だとご存知でしょうか。大正時代あたりの地図を見ると、確かに岸のラインに沿って路線があったことがわかります。

Img04412

Img04432

Img04442

Img04532

Img04542

ここを散策する人の中に、市電が走っていたことを思い起こす人はまずないと思いますが、昔の地図を片手に感慨にふけるのも一興だと思います。

2012年5月28日 (月)

’01 都電の廃線跡(3系統 その2)

紀の国坂をさらに下ります。

3系統は併用軌道に合流し、高速の下を走っていました。

弁慶濠の景観も高速で台無しです。

Img04112

Img04122

Img04202

Img04212

Img04222

Img04232

Img04242

Img04252

Img04262

Img04282

Img04292

Img04302

2012年5月27日 (日)

’01 都電の廃線跡(3系統)

四谷見附から赤坂見附へ下っていた3系統は途中から専用軌道になっていました。

左側が専用軌道跡になります。

Fh0100102

桜の木が踊っているように見えます。

Img04032

手前が専用軌道跡。途中から首都高に路盤が取られていることがわかります。

Img04042

こちらは坂の途中から赤坂見附方向を見たところ。

Img04052

振り返って四ツ谷駅方向を見る。専用軌道の路盤がはっきり確認できます。

Img04062

この辺りから路盤は首都高に完全に取られました。


Img04072

併用軌道に戻ったのはこの辺りではないかと思います。

Img04082

Img04092

Img04102

続きは明日お届けします。

2012年5月26日 (土)

’01 都電の廃線跡(四谷見附)

四谷見附橋ができるまで、東京市電は一本市ヶ谷寄りの道ををクランク状に走っていたそうです。

それがこの道です。

Img03912

四谷見附の江戸城の土塁でしょうか。記念碑的に残されています。

Img03902_3

Img03922_2

Img03932

Img03942

新宿通りの反対側、上智大学脇の築堤です。

Img03952

下を走るJRを覗いてみました。

Img03882

Img03962

こちらは丸ノ内線の四ツ谷駅です。

Img04002

Img03982

ここは以前明かり区間で、桜の木が毎年花を咲かせていたのですが、地上のアプローチ建設により今ではコンクリートのトンネルの中、桜の木も切り倒されてしまいました。

Img03992

丸ノ内線のホームを外堀通りから見下ろします。

Img04012

Img04022

明日は外堀通りを赤坂見附へ下っていきます。

2012年5月25日 (金)

’96 都電の廃線跡(31系統)

三ノ輪橋から浅草方面へ延伸という構想もありましたが、実現はなさそうです。

かつて三ノ輪橋から浅草方面には31系統がありましたので、その跡を辿ってみました。

三ノ輪の歩道橋から。

Fh0500152

国際通りの浅草方向を見る。荒川線を延伸するとしたらここに線路を敷くのでしょうか。

Fh0500162

右の狭い通りを21系統が走っていました。左の通りには都電はありませんでした。

Fh0500172

ではこれから31系統の路線をたどります。

Fh0500182

意外と狭い通りを走っていました。

Fh0500192

クランク状にカーブしていた地点です。

Fh0500202

Fh0500212

Fh0500222

浅草まで来ました。24系統が走っていた通りです。これだけ道幅があれば、都電は残しておいてもよかったように思います。

Fh0500232

Fh0500242

稲荷町の地下鉄入口は必見の価値があります。

Fh0500252

Fh0500262_2

Fh0500272

Fh0500282

上野まで歩きました。本日の散歩はこれで終了です。

Fh0600012






2012年5月24日 (木)

’95 都電の廃線跡(38系統 その5)

竪川人道橋の続きです。

ビューゲルを模った進入防止柵です。

Fh0100072

竪川通の電停モニュメント。

Fh0100032

欄干には往時の都電の姿が。

Fh0100042

車輪も展示されています。

Fh0100082

「わが都電わが都電」からの抜粋による解説文。

Fh0100052

下に下りると銘板が確認できます。ペンキの厚塗りで見づらくなっていました。

Fh0400252

緑道は「亀戸緑道公園」と名を変え続きますが、景観は同じなので省略させていただきます。

0001392

2012年5月23日 (水)

’92,’95 都電の廃線跡(38系統 その4)

大島緑道公園と亀戸緑道公園の境に位置するのが竪川人道橋です。

こちらはモニュメントの整備前です。

0001432

0001402


0001412


0001422

都電のレリーフやダミーの線路などが整備された後の様子です。

Fh0100022

Fh0100092

Fh0100102

Fh0100112

明日もさらに竪川人道橋を見ていきます。




2012年5月22日 (火)

’92 都電の廃線跡(38系統 その3)

小名木川貨物駅を過ぎて再び専用軌道へ入ります。

廃線跡は大島緑道公園となっています。

0001512

踏切の跡らしさが出ています。

0001502

やがてS字カーブを描いて。

0001492

のどかな散歩道です。

0001482

0001472

やがて両側が道路になります。

0001462

 こんな鳥たちがいるそうです。

0001452

緑道の案内板です。

0001442

続きは明日お届けします。

2012年5月21日 (月)

’91,’92,’96 都電の廃線跡(38系統 その2)

南砂緑道公園を散策します。もと汽車会社の工場があったところです。

0001362

きれいな花が咲いていました。

0001352

桜の木が植えられているので、満開時はさぞ美しいことでしょう。

0001372_4

都電の車輪が展示されています。

Fh0300062_2

Fh0300052_2

越中島貨物線との交差部です。

0001382_2

今度は明治通りの併用軌道になります。

Fh0000152_2

砂村はねぎの産地であった、との記述がありました。

Fh0000172

境川交差点の様子です。

Fh0000182

都電の境川分車庫跡は都バスの停泊所になっていました。

0000722

0000712

2012年5月20日 (日)

’96 都電の廃線跡(38系統)

都電の州崎という停留所は今の地下鉄東西線の東陽町あたりになります。

遊郭というイメージを消すために地名も消してしまったのでしょうか。

専用軌道の多かった、廃止が惜しまれる38系統跡を辿ってみましょう。

Fh0000082

これは案内図ですが、廃止された共同倉庫への引込み線が描かれていました。

Fh0000132

共同倉庫の専用線跡です。

Fh0000092

Fh0000102

Fh0000112

Fh0000122

明日から都電の専用軌道跡に戻ります。

2012年5月19日 (土)

’91 都電の廃線跡(芝浦工場引込線 その4)

東京モノレールの車窓からも船路橋を見ることができました。

このあたりに駅が設置されてもおかしくないと思います。

Fh050023

000141

Fh010019

Fh040001

Fh040012

2012年5月18日 (金)

’91 都電の廃線跡(芝浦工場引込線 その3)

近くにあるオンワードで展示即売会などがある時に、各営業所所属の都バスが来場者輸送のために集結しました。まるで都バスの秘密基地のようでした。

000087

000088

000089

明日も船路橋の特集です。

2012年5月17日 (木)

’91 都電の廃線跡(芝浦工場引込線 その2)

船路橋のディテールを観察します。

まだ自動車工場、交通局研修所の看板が残っていました。

0000902

反対側から撮影。正面に見えるのは田町ハイレーン(ボウリング場)です。

0001432

マロンも記念撮影しました。

Fh0000072

橋柱です。

0001422

こちらは銘板です。

0001442

数年後に再訪したときは、柵が設けられていました。青島都知事がここをホームレスの一時収容施設にした頃です。

Fh0400072

架け替えられる予定の橋についてお知らせが出ました。もう余命わずかの船路橋です。

Fh0400042

Fh0400052

近くで見つけた石畳ですが、こちらは都電とは関係なさそうです。

Fh0400082

Fh0400092

また明日続きを掲載します。

2012年5月16日 (水)

’92,’98 都電の廃線跡(芝浦工場引込線)

今日からは芝浦工場への引込み線跡を辿ってみましょう。

まずは田町駅東口に降り立ちます。

Fh030025

駅前もだいぶ変わってしまっていることと思います。

Fh030026

芝浦二丁目の交差点にはレールが露出していました。

Img02202

Img02212_2

左は芝浦工場へ、右は用品倉庫への分岐点でした。

Fh0400112

船路橋へ着きました。レールが埋まっている様子をお見せします。

ポイントがあったのでしょうか。

Fh0400022

Fh0400032

Fh0200022

Fh0200012

Fh0200032

船路橋に関しては、明日もじっくり見ていただきますのでご期待ください。

2012年5月15日 (火)

’97 都電の廃線跡(26系統 その2)

今井街道の歩道にはタイルが埋め込まれていました。

Fh0200232

Fh0200242

廃線跡の用地は払い下げられて住宅が建っているようで、明確にその跡をたどるのは難しいようです。

Fh0200222

都電廃止後はトロリーバスが走りましたが、それも廃止されて久しく、今井の終点は大変貌を遂げていました。

Fh0200212

Fh0200202

Fh0200192

Fh0200182

石畳が残っていましたが、都電とは関連はなさそうです。

Fh0200172

Fh0200162

Fh0200152

2012年5月14日 (月)

’97 都電の廃線跡(26系統)

今日は江戸川線と呼ばれた川向こうの東荒川~今井間を訪問したときの様子です。

こちらは東荒川の起点ですが、撮影する場所を間違えています。定点は画面左側の神社脇でした。

Fh020025_3

こちらは人為的に復元された橋で、実物ではありません。

Fh0300082

Fh0300072

Fh0300092_2

城東電車とトロリーバスのモニュメントがありました。

Fh0300102


Fh0300062

続きは明日掲載します。

2012年5月13日 (日)

’96 都電の廃線跡(永代二丁目)

今日は永代二丁目の電停跡です。

歩道橋から安全地帯に下りる階段がついていました。歩道橋に階段の取付部が残っています。

「日本橋 永代橋」の右側に見えるのがそれです。

Fh000030

ここは昭和47年11月11日に廃止された区間です。

Fh010001

2012年5月12日 (土)

’92,’96 都電の廃線跡(25系統 その4)

中川の都電専用橋を渡っても専用軌道は続いていました。

専用軌道の跡は細長い公園になっていました。

000049

都電のレールが柵に使われていました。

000050

もうこの場所もこのままの姿ではいられないようです。

000051

首都高7号線が寄り添ってくるともうすぐ西荒川の終点です。

000060

荒川の土手から西荒川の終点を見下ろす。再開発前夜の風景です。

000061

やがて小学校の建設が始まりました。廃線跡を無視した道路割になったので、かつての路線を忠実に辿ることは出来なくなりました。

000062

2012年5月11日 (金)

’92,’96 都電の廃線跡(25系統 その3)

中川の都電専用橋跡は車道のための橋がかかりました。

こちらは橋がかかる前の様子です。

000052

000053

ここに新たに架かった橋のたもとにあった案内図です。

Fh0200272

新しくできた橋は特筆すべきデザインではないため外観は撮影していませんが、歩道に都電のタイルがありました。

Fh030012

Fh030013

次回はいよいよ西荒川終点です。

2012年5月10日 (木)

’92,’96 都電の廃線跡(25系統 その2)

亀戸駅前の歩道橋には、電停に下りるための階段がついていました。

Fh000029_2

今でも階段を撤去し手すりを溶接した部分が確認できます。

Fh000028

京葉道路の亀戸九丁目から午後一時の方向に入っていくと、右手にグラウンドがある開けた場所に出ます。ここが浅間前の電停があった場所です。

駐車場にレールが埋まっていました。

000100


000112

000119

000122

数年後にはレールはすべて撤去されました。

Fh0200282

Fh010012

2012年5月 9日 (水)

’91,’94,’96 都電の廃線跡(25系統)

今日は日比谷~西荒川間を結んでいた25系統です。

こちらは日比谷の三信ビル(解体済)横、折り返しの引込み線があった場所です。

Fh0300272

途中、錦糸町駅前には錦糸掘車庫がありました。現在、丸井が建っている場所です。

ラッピング広告の始まるはるか前、都バスにギャラリーバスが登場、めずらしいものだったので撮影してみました。

Fh0400021

Fh0400011

Fh030012

Fh030013

錦糸掘交差点は活気のある交差点です。

錦糸町という街自体がひとつの地方都市という感じがします。

広島みたいに路面電車を残しておいてほしかったと思います。

Fh000019

地下鉄半蔵門線の看板が登場しても、錦糸町に地下鉄が開通するとはなかなか信じられませんでした。

Fh000020_2

続きは明日掲載いたします。

2012年5月 8日 (火)

’92,’96 都電の廃線跡(上野駅前)

昭和47年まで都電が残っていた上野駅前です。

Fh0100082

0000222

0000232

歩道橋の下にはかつての電停跡が見られます。

Fh0000242

Fh00002712_2

停留所に直結していた地下鉄の出入口です。

Fh0000252_2

Fh00002622

地下に降りると、非常用出口の扱いで閉鎖されていました。

トッコロさんはいつでもバカやってます。

Fh0000232

2012年5月 7日 (月)

’92,’98 都電の廃線跡(渋谷駅前)

今日は予定を変更して都電のターミナルがあった渋谷駅前を紹介します(四谷付近は後日掲載します)。

都電の停留所をほぼそのまま都バスのりばに転用していましたが、バスターミナルの配置が大幅に変更されたため、このような風景はもう見られません。

Fh000021

都市新バス「グリーンシャトル」のりばです。

Fh000022

’98にのりばの大幅な配置換えが行われました。

Fh010026

もうすぐこの場所からの発着も見納めです。

Fh010028

地下鉄銀座線の高架下。ここを都電が走っていました。

Fh010027

都電時代からのものでしょう。詰所と架線柱です。

Fh050029

架線柱のアップです。

Fh0100041_2

路面にレールが露出していました。

Fh020006_2

後日都電のレールに間違いないことが確認できました。

Fh020007

6,9,10番が通っていた線路です。

Fh020008

こちらは34番が使用していた線路でしょうか。

Fh020009

しばらく経つとアスファルトで埋められてしまいました(後日レールは掘り出されました)。

Fh0100051

2012年5月 6日 (日)

’98 都電の廃線跡(信濃町駅前)

「メトロとトラム」の企画(新宿歴史博物館)で13系統の廃線跡をめぐったあと、徒歩で信濃町へ向かいました。

こちらは厚生年金会館の近くだったと思いますが、ここには都電は走っていませんでした。

Fh000027

四谷三丁目の交差点まで来ました。

Fh000028

信濃町方向を見たところです。

Fh010001

左門町の方向へ向かいます。

Fh010002

信濃町駅前の都電専用橋があった場所です。

Fh010003

振り返って慶応大学病院方向を見る。

Fh010004

歩道橋の下に都電の枕木を発見。

Fh010005

バスが止まっているあたりが都電専用橋でした。

Fh010006

青山一丁目方向を見る。

Fh010007

この続き、四谷付近の探索の模様は明日お届けします。

Fh010008

2012年5月 5日 (土)

’93 都電の廃線跡(市谷見附、築地橋、品川駅前)

今日は路面に見られる都電の廃線跡を紹介します。

このような物件を調査する際は車に十分注意してください。

最初は市谷見附です。93年にRM誌上のトワイライトソ゜ーンに掲載されたのですぐ見に行きました。確かに路面にレールがしっかり露出していました。撮影後二ヶ月経たないうちに撤去されたようです。

Fh030018

Fh030019

Fh030021

Fh030022

続いては築地橋です。有楽町線の新富町駅近くの平成通りにあります。レールは見つけられなかったものの、レールが埋まっている可能性が高いと思いました。

Fh0100021

Fh0100053

おまけで品川駅前のトロリーバスのりばの跡です。横断歩道の先になります。

Fh0500162

2012年5月 4日 (金)

’88 都電の廃線跡(13系統 その4)

13系統は抜弁天から先は終点まですべて併用軌道でした。

1978年の夏、今は銀座松屋で開催されているNゲージショウの第一回が科学技術館で開催されました。筆者は当時中三でしたが、自宅から自転車で出かけました。その帰り道にこの13系統のルートを辿ったのです。ちょうど池袋のサンシャイン60が出来た頃でした。この抜弁天あたりからは新宿の高層ビル群が見え、帰宅へのよい道しるべになりました。

Fh0001211

Fh0001221

Fh0001231

Fh0001241

Fh0001251

Fh0001261

2012年5月 3日 (木)

’98 都電の廃線跡(13系統 その3)

13系統と明治通りとの交差点は新田裏と呼ばれており、バス停も長らくその名称でした。現在は「日清食品前」と改称されています。せめて副名称くらいにしてほしかったところです。企業名に安易に名称を売り渡す最近の風潮(ネーミングライツしかり)は感心しません。

Fh000019

明治通りの新宿三丁目方向を見る。

Fh000020

こちらは明治通りの池袋方向です。かつてはトロリーバスも走っていました。今は地下を東京メトロ副都心線が走ります。

Fh000021

Fh000022

大久保車庫跡はJKKの住宅になりました。

Fh000023

有名人「都電20番」さんです。「トラムとメトロ」のイベントで参加者に解説をしているところです。

Fh00002415

戦後の傷が癒えない昭和20年代半ばくらいでしょうか。大久保車庫の5000形です(鉄道写真の通信販売で購入した写真です)。


Fh0000242

複線の軌道跡は一方通行の車道にするのが精一杯です。

Fh000025

抜弁天で併用軌道に合流していた地点です。道路になってみるとこれだけの幅しかありません。

Fh000026

2012年5月 2日 (水)

’94 都電の廃線跡(13系統 その2)

四季の路に入ります(昨日と異なる日の撮影です。ご了承ください)。

Fh0000182

途中、ゴールデン街の脇を通ります。高木が植わっているため視界が利かないところとホームレスの住処になっているところはあまり好きではありません。

Fh0000183

260mで四季の路は終わりです。もっと先まで遊歩道にしてほしかったと思います。

ふりかえるとゼブラの信号機がありました。

Fh0000185

引きの絵でもう一枚。

Fh0000184_2

明治通りから先は次回お届けします。

2012年5月 1日 (火)

’98 都電の廃線跡(13系統)

新宿駅前~抜弁天あたりまで歩いてみました。

新宿駅東口マイシテイ(現ルミネエスト)前です。ここには戦前14系統の前身である西武軌道が乗り入れていました。立ち並ぶ映画の看板も今はありません。

Fh000013

すごい看板です。

Fh000012_3

こちらは新宿大ガード付近から西口方向を見たところ。閉店したヨドバシカメラ大ガード店が見えます。

Fh0000162_2

ここが13系統の起点となっていたところです。

Fh0000161_2

四季の路入口付近から都電終点方向をふりかえったところ。adhocの右の路地を入っていくと元の13系統の終点になります。

Fh000017_2

では四季の路へ入っていきましょう(続きは明日とさせていただきます)。

Fh0000181_2

« 2012年4月 | トップページ | 2012年6月 »

最近のトラックバック

2017年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ

お気に入りのサイト