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2013年8月

2013年8月31日 (土)

’90 池袋電車区

池袋電車区の用地の一部が豊島区に売却されることになるという記事があり、現場に行ってみるとすでに一部の線路が撤去されていました(90/2/19撮影)。

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2013年8月30日 (金)

’90 ビヤステーション恵比寿

サッポロビールの引込線跡を利用したビヤレストランがありました。佐野量子の「哀愁エクスプレス」という歌のCDジャケットに使われていました。「取材にお金をかけていないなぁ」、と思ったものです。Canonのイベントが開催された日に訪問しました(90/2/17撮影)。

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2013年8月29日 (木)

’89 千住貨物駅

兵どもが夢の跡…。こちらも一歩遅かった。すでに更地になった千住貨物駅跡の様子です(89/12/3撮影)。

東武伊勢崎線牛田駅近くの築堤下に撤去したレールが積まれていました。

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完全に更地になった千住貨物駅跡。確か後年アミューズメントの巨大迷路ができましたっけ。

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扉の向こうを覗いてみたくなります。

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廃工場のようなところに線路が引き込まれていました。

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土砂に埋もれた線路。

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荷物車を二分割した倉庫でしょうか。

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2013年8月28日 (水)

’90,’91 晴海・豊洲地区の専用線(その3)

廃線から約一年半後に再訪しました。部分的に線路が撤去されましたが、まだ橋梁も残り、十分に面影を辿ることができました(特記以外は90/9/16撮影)。

運河を渡るガーダー橋が残っていました。

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マンション群の中に廃線跡がありました。

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潮見駅付近で見かけた国鉄とJRのコンテナ。

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この橋梁はもう撤去されたようです(90/9/24撮影)。

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このトラス橋も撤去されたようです(90/9/24撮影)。

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豊洲地区は廃線後に速やかに撤去が行われ、痕跡を見つけるのは困難でした。道を歩いていると突然踏切の標識に遭遇しました。向こう側のアスファルトの色の違う箇所に踏切があったようです(91/12/3撮影)。

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2013年8月27日 (火)

’89 晴海・豊洲地区の専用線(その2)

列車が走らなくなった線路を辿ってみました。冷たい雨の降る日で風邪を引いてしまいました(89/2/10撮影)。

IHIのお膝元だけあって、運河に船が浮かび、臨港線の雰囲気満点です。

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このトラス橋は今もあります。

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錆が回っていますが大きな橋梁です。

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晴海埠頭の方向を見たところ。

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廃止された踏切を都バスが通過する。

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踏切跡から晴海埠頭方向を見る。

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列車通過予定時刻が掲出されていた。

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踏切廃止のお知らせ。

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2013年8月26日 (月)

’89 晴海・豊洲地区の専用線

東京都港湾局の専用線です。廃止の日を一日間違えたため、営業最終日に行くはずが果たせませんでした。廃止日の前日が営業最終日なのですね(89/2/10撮影)。

今、再訪しても場所が分からないかも知れません。豊洲にて。

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踏切が廃止になり、一時停止の白線を消しているところ。

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晴海埠頭のヤード跡。

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「使用中止」の表示も侘しい。

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2013年8月25日 (日)

’92,’93 築地市場専用線(その2)

築地市場専用線跡を再訪した時の写真です。ガーダー橋はすでに撤去され、道路橋に架け替えられていました(特記以外は93/3/6撮影)。

廃線跡は完全に道路化され、警報機の位置も変わりました。Fh0000242_19930306

この写真は92/1/25撮影のもので、まだ道路として供用されておらず、駐車場になっていました。

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こちらは道路化された廃線跡です。

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かつてのガーダー橋は架け替えられ、道路橋になりました。

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こちらは築地市場です。ここに線路が引き込まれていた当時の面影があります(92/1/25撮影)。

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この案内図でわかるように、円周の四分の一相当の線路が敷かれていました(92/1/25撮影)。

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2013年8月24日 (土)

’89,’92,’93 築地市場専用線

汐留からは築地市場へも専用線がありました。実際、線路のあった時にも見ているのですが、写真を撮るのが遅く、線路はほとんど撤去された後でした(特記以外は89/11/25撮影)。

首都高をくぐる部分に踏切がありました。向こう側は汐留駅跡です。これは警報機を踏切跡のモニュメントとして残したものです。通行する車に誤解を与えないように90度向きを変えられています。

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こちらは説明板(92/5/24撮影)。

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下の説明板は93/3/6撮影です。

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線路はほとんど撤去されていましたが、首都高速をオーバークロスする地点のガーダー橋だけ残されていました。 Fh0400021_r_19891125

向こうに見えるガーダー橋が専用線跡です。

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2013年8月23日 (金)

’90,’92 芝浦貨物線(その7)

一足遅かった。もう少し早ければ芝浦貨物駅が見れたのに。すでに完全な更地になっていました。

完全に更地になった芝浦貨物駅跡(90/9/24撮影)。

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レインボーブリッジへつながる首都高が建設中です(92/9/22撮影)。

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芝浦貨物駅の簡単な線路配線図だけが残っていました(92/9/22撮影)。

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こちらも案内図です(90/9/24撮影)。

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ここから首都高が分岐してレインボーブリッジを渡ることになります(92/9/22撮影)。

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2013年8月22日 (木)

’90,’91 芝浦貨物線(その6)

日の出埠頭と芝浦埠頭の間にはガーダー橋がありました(特記以外は91/7/14撮影)。

日の出埠頭から芝浦埠頭方向を見る。

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ガーダー橋が人道橋に転用されていた。

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90/9/24撮影。

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こちらは芝浦埠頭から日の出埠頭方向を見たところ(90/9/24撮影)。

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2013年8月21日 (水)

’89,’90,’91,’92 芝浦貨物線(その5)

日の出埠頭の水上バス乗り場前や倉庫群の脇に線路が残っていました。

89/11/10撮影。

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92/5/24撮影。

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倉庫前に残る線路(以下三枚は90/9/24撮影)。

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以下四枚は91/7/14撮影。

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2013年8月20日 (火)

’90,’92 芝浦貨物線(その4)

竹芝埠頭付近の廃線跡を散策しました(特記以外90/9/24撮影)。

今だったらゆりかもめの高架線が見えるはずです。玉屋食堂は今もあるのでしょうか。

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竹芝から日の出方向を見る。

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上と同地点でゆりかもめの建設がそろそろ始まる頃です(92/5/24撮影)。

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仮称「竹芝ふ頭」駅と新交通システム建設のお知らせ(92/5/24撮影)。

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やはり日の出方向を見たところ。

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こちらは振り返って竹芝方向を見たところ。

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日の出埠頭へ渡るガーダー橋の橋脚が残っていました。

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同地点にて。向こうは首都高の浜崎橋JCTです。

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2013年8月19日 (月)

’90,’92 芝浦貨物線(その3)

汐留~竹芝間の続きです(特記以外は90/9/15撮影)。

今ゆりかもめの軌道がある場所に飲み屋街のバラックが連なっていました(92/5/24撮影)。

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ウォーターフロントの開発が進む竹芝と、取り残された廃線跡。

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JR芝浦寮の前、汐留方向を望む。

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同地点から竹芝方向を見る。左がJR芝浦寮。

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廃線跡は駐車場と化していた。

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踏切跡から汐留方向を見る。

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レールは撤去されたがバラストが残る。

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2013年8月18日 (日)

’89 芝浦貨物線(その2)

現在のゆりかもめで言えば汐留~竹芝間に当たります。

草むした線路跡(89/11/10撮影)。

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踏切廃止のお知らせ(89/11/10撮影)。

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こちらも踏切の跡(89/11/10撮影)。

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JR芝浦寮前の廃線跡(以下、89/11/25撮影)。

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2013年8月17日 (土)

’89,’97 芝浦貨物線

汐留駅から海岸通りを横断して竹芝、日の出、芝浦埠頭へ専用線が延びていました。今、その敷地上空をゆりかもめが走っている場所です。

海岸通りとの交差部、踏切跡(97/5/5撮影)。

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路面にレールの痕跡がわかります(97/5/5撮影)。

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首都高直下の海岸通り中央分離帯に残るレール。向こうは竹芝桟橋です(以下、89/11/10撮影)。

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同地点から旧汐留駅構内を振り返る。

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2013年8月16日 (金)

’96 汐留貨物駅(その3)

遺跡見学会の続きです(96/11/9撮影)。

転車台の跡。

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プラットホーム跡。上はゆりかもめの高架橋。

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まだ使用されていないゆりかもめの汐留駅。

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大名屋敷の跡でしょうか。

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0kmの鉄道起点を示す碑が取り残されていました。

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鉄道施設の跡だと思います。

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2013年8月15日 (木)

’96 汐留貨物駅(その2)

汐留の再開発に先立って行われた遺跡発掘調査の見学会に参加しました(96/11/9撮影)。

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奥に見えるホームはゆりかもめの新橋仮駅です。

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ゆりかもめの新橋仮駅。

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ヒゲのおじさんが解説員をしていました。

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2013年8月14日 (水)

’90,’96,’97 汐留貨物駅

バブル期に土地価格高騰を煽るという理由で売却が凍結されていました。

売却前の汐留貨物駅跡(90/9/15撮影)。

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汐留貨物駅跡にはこんな看板が残っていました(96/11/9撮影)。

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汐留貨物駅跡を横断する通路がありました。上空を走るのは95年開業のゆりかもめ(97/5/5撮影)。

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2013年8月13日 (火)

’90,’91 都営地下鉄(12号線)

大江戸線の呼称になる前、都営12号線と呼ばれていました。

千早フラワー公園に保存されている12-000系試作車(90/2/20撮影)。

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以下、開業二日目の光が丘駅にて(91/12/11撮影)。

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2013年8月12日 (月)

’90 都営地下鉄(新宿線)

本八幡駅が開業した当初はホームの片側のみ使用していました(90/8/30撮影)。

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こちら側のホームは塞いでありました。

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2013年8月11日 (日)

’89,’90,’93,’94,’95,’97 都営地下鉄(浅草線)

5000系の時代を中心に掲載します。

京急蒲田の踏切にて(94/4/27撮影)。Fh0300122_940427

高架化前の立会川にて(90/10/2撮影)。

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品川の八ツ山陸橋脇の踏切にて(90/11/18撮影)。

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西馬込にて(90/8/30撮影)。

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大門駅にて(97/5/5撮影)。

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大門駅にて(93/4/12撮影)。

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江戸橋(現・日本橋)駅にて(89/3/4撮影)。

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新鎌ヶ谷駅にて(95/10/19撮影)。

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2013年8月10日 (土)

’96,’97 営団地下鉄(営団時代の残照)

時代とともに失われていく営団時代の残照です。

木場駅の駅名標。開業時のものでしょうか(96/12/23撮影)。

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根津メトロ文庫。(97/5/5撮影)。

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広尾駅の入口。改札口が道路と直結しています(96/9/13撮影)。

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2013年8月 9日 (金)

’94,’95 営団地下鉄(霞ヶ関官庁街)

営団地下鉄時代の霞ヶ関官庁街の景色です(特記以外は94/4/18撮影)。

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法務省赤レンガ旧庁舎。以下、95/11/9撮影。

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文部省。

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2013年8月 8日 (木)

’89,’91 営団地下鉄(地下鉄博物館)

地下鉄博物館に行く度思うことは、東京高速鉄道の129号車の車体を切ったのは惜しかったということです(特記以外は91/12/14撮影)。

東京地下鉄道1001号車(この写真のみ89/2/11撮影)。

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横サボもレトロ調です。

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東京高速鉄道の129号車カットボディ(この写真のみ89/2/11撮影)。

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車体の前には台車があり、回転させることができます。吊り掛けモーター音を堪能できます。

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2013年8月 7日 (水)

’94 営団地下鉄(南北線)

南北線が全通する前、一の橋交差点の高速道路下にPRコーナーが設けられていました(94/4/18撮影)。

南北線のモックアップ。

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営団のマークも誇らしげに。

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運転台の様子。

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室内は南北線の事業計画についての資料が展示されていました。

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2013年8月 6日 (火)

’89 営団地下鉄(丸ノ内線 その11)

日本橋の三越本店で行われた車両売却のための展示です(89/1/28撮影)。

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2013年8月 5日 (月)

’95 営団地下鉄(丸ノ内線 その10)

ニュースで放映された丸ノ内線旧型車両の解体シーンです。まさに身を切られるような思いがしました。 Fh0300194

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2013年8月 4日 (日)

’96 営団地下鉄(丸ノ内線 その9)

方南町支線にも02系が導入され、500形の時代は幕を閉じました(特記以外は96/7/7撮影)。

方南町にて。

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方南町にて。

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方南町にて。

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中野坂上にて。96/7/16撮影。

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02系の連結部。方南町にて。

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02系(支線用)の車内。方南町にて。

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2013年8月 3日 (土)

’96 営団地下鉄(丸ノ内線 その8)

すでに500形の丸ノ内線本線での運転は終了しておりましたが、支線用3連×2の6両によるお別れ列車が運転されました。これは招待客を乗せたもので、残念ながら抽選に外れ乗車できませんでした。四ツ谷にて。96/7/20撮影。

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中野坂上にて。96/7/16撮影。

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中野坂上にて。96/7/16撮影。

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方南町にて。96/7/16撮影。

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中野坂上にて。96/7/16撮影。

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中野坂上にて。96/7/16撮影。

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2013年8月 2日 (金)

’93,’96 営団地下鉄(丸ノ内線 その7)

方南町支線の末期は500形3連で運転されていました。

方南町にて。96/7/7撮影。

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方南町にて。96/7/7撮影。

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方南町にて。96/7/7撮影。

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方南町にて。96/7/7撮影。

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中野坂上にて。96/7/7撮影。

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中野坂上にて。93/7/28撮影。

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中野坂上にて。93/5/27撮影。

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中野坂上にて。93/5/27撮影。

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2013年8月 1日 (木)

’92,’93 営団地下鉄(丸ノ内線 その6)

丸ノ内線の中野坂上~方南町間の支線には、銀座線から転属した2000形が使用されていました。

中野坂上にて。92/3/5撮影。

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中野坂上にて。93/1/6撮影。

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中間に入った2000形は原型1灯ライトのままでした。中野坂上にて。92/3/5撮影。

0000812_920305

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